作家活動

冷めきった肉を電子レンジにぶち込んで体温をくれたもの

そいえば昨日映画をみてて「人間何回目」って話をしてて、ふとインドを思い出してしまった。

勘違いされることがあるから書いておくと(笑)、俺はずっと「くそったれな人生だな」って思いながら生きてきた。


ぶっちゃけ人生なんか冷め切ってたし


「なんで俺だけがいつもこんな目に合わなきゃいけないんだって。神様がもしいるんだったら、そいつに世界を造る才能も資格もなかったなって」


もうネガティブなんてとっくに通り越して


感情というものは持っているだけで苦痛で、傷つくだけで、さっさと捨てちゃったほうが楽だなって。


まぁなにを頑張ったって、いくら努力したって…自分の力じゃ、大切の人たちの人生、人1人の力にもなれないんだなって。


まぁでもそんな冷え切った何年も冷凍保存された迷える子羊の芹澤君を電子レンジにぶち込んで体温をくれたのは、ある考え方で、今もそれは人生の『支え』になってる。


その考え方っていうのは…


人生っていうのは「修行の場」なんだって。


だから悲しいことも辛いこと、


腹が立つことも嬉しいことも楽しいこともある。


それを経験して、学んで、徳を積めば…


輪廻から離脱できてやっと次のステージにいけるって。


輪廻転生っていうのはいわゆる生まれ変わることであって、「人間何回目」って話。


人生という修行の場で…


人を苦しめるような行動をしたり


傷つけるようなこと


をすれば、レベルが落ちて虫や植物に生まれ変わり


人を幸せにしたり、大切に優しくできれば


何回か人間に生まれ変わって、


もうこの修行の場で学ぶことがなくなれば


輪廻から離脱できて、次のステージにいける。


人生の中でありえないことばかり起こるってことは「選ばれた」ってことで、もう神様から選ばれた人っていうのは人の痛みを知っているし、その痛みを通じ学んだことを、同じ苦しみを待っている人
たちの光にすればいい。


その光が、次のステージに運んでくれる。


宿命っていうものは


「生まれながらにして変えられないもの」


親もそうだし、自分の顔もそうだし


運命っていうものは


「自分の力で変えられるもの」


結局人生は「修行の場」であって、ゲームみたいなもの。


それくらいのスタンスでいたほうが楽だし、


何が起こってもすべて受け入れられる。


人は受け入れることができないから、苦しむ。


受け入れれば、楽になる。


まぁこの考え方が正しいか正しくないかなんてそんなのどうでよくって、「考え方」をもっていれば、すっと肩の力が抜けることがある。


名前が東洋だけあって、インド哲学、仏教、アジアで生まれた東洋思想が好きだ。



「考え方」は、人生という修行の場で役立つ、どんな兵器よりも強い、最強の武器だ。