作家活動

インドの山奥のガチやばい修行で学んだ人生の最強哲学、許す⑤~今を生きる~

あなたにはだれか許せない人がいますか?

あなたの心のモヤをつくっているのは、忘れられない過去からですか?

まだ見ぬ未来への不安ですか?

実はこの世には『今』という時間しか存在しない。



幻想を打ち破って…




今を生きて










「許し」の記事はこれで最後になる。



最後までみていただけたら、心から嬉しい。











さっそくいきたいところだが、



授業中は何を食べてたんですか?



そんな質問がきそうなので答えておく。




基本的にはベジタリアンの“健康”メニューといったところ。


朝はおかゆとちんこ。





おっと、バナナだった。







昼は“スープっぽいカレー2種類”と”チャパティー”と呼ばれるナンとご飯のようなもの。


そして夜は“お菓子”と甘い”ミルクティー”のみ。


おかわりは自由で、最後の方は同じメニューに少し飽きたが、この修行はすべて”寄付”、すなわち無料で行われているため、ありがたくいただいた。






場所はこんなところで…




映画の中の刑務所を思い出した。




みんな並んでご飯を配布されるみたいな感じ。






7,8日目

体ぜんしんの、“感覚”を観察(意識)する




先ほどと同様、つぎは“体全身”の感覚を意識する。


さきほどは5センチくらいだったが、3センチ、1センチ。


じょじょに意識する範囲を狭めていく。


頭のてっぺんから足のつま先まで、すべてに意識を傾けていく。


*たとえ足がしびれようが体が痛かろうが、


顔に虫が止まかろうが、体はいっさい動かしてはならない。


痛みが発生したらそれをただ感じて、“受け流す”こと。



頭のてっぺんから顔、首、腕、胸、背中、足…


このような順で意識をずらし、体のすべての部分の感覚を観察していく。



ももの裏側とか、かかととか普通にめちゃめゃ難しい。


こんなところに意識を向けるやつはよっぽどの変態だろ(((゜д゜;)))。。笑



そして足がしびれたため動かしたくなるのだが、集中力がきれてしまうため動かせない。


しかも目もいっさい開けてはならない。


でもこの“感覚を感じれない気持ち”とか“体を動かすことを我慢すること”が…


このめいそうの“効果を加速”させてくれるとのこと。








9、10日目

“エネルギーの流れ”を感じ、そして“心を無”にする






ついに最終段階。


まずは頭のてっぺんから足のさきまで、流れを感じる。


“エネルギーの流れ”と呼ぶべきなのか?


そして体は流れを感じつつ、心を無の状態にする。


これが“めいそうの最終ゴール”



めいそうのゴールにたどり着けたのかはわからないが、体ぜんしんに何かの流れのようなものを感じることができた。


めいそうを始めると、徐々に“意識が深いところ”までたどり着き、そしてどこかへ飛んでいく。

意識が軽く飛び始める。



最初ねむってしまってるのかと思ったのだが、目をあけようとすえばあけられるし


うまく表現できないけど、“心と体が別のところ”にある感じ?



体は流れを意識しているけれど、心は無というか心に何もないというか…


“心の中がからっぽ”みたいな感じになる。




そしてめいそうが終わり目を開けると、すごく“心が新鮮”になっていて、


なんだかとても清々しく、心に曇り一つなく晴れ渡っている。



そしておれの10日間のめいそう修行は、無事に幕を閉じた。








10日間の修行が終わると、“沈黙の約束”が解き放たれる。


しゃべれるかはじめ不安だったのなが、普通に喋れた!笑←むしろ喋らなすぎて、おしゃべりが増した( ̄□ ̄;)!!笑





みんな修行が終わると、すがすがしい顔をしていた。









10日間の修行を、ともに乗り越えた仲間と写真を撮った。


なんなんだ、このアホヅラは?ブス(6年前)






実は毎日、就寝前の2時間ヘッドフォンをつけて“日本語で話”を聞ける時間があり、


その時間が、本当によかった。






ヘッドフォンから聞こえてくる声は、おれにめいそうのやりかた教えてくれ、


そしてまたなぜこの修行が生まれたのかを説明してくれた。



主にこの修行を説かれた“ブッタの教え”を聞くことができた。



なぜ「生きる技」といわれているのか。


それは今後の人生を“よりよく生きる”ための技。


「よりよく生きるための技」を習得することが、この修行の一番の目的であるから。



人間生まれたからには、すべての人が幸せになるべきである。


2500年前、ブッタはそう唱えた。


だが、そうはいかない。






僕たち人類は日常生活において、様々なものを経験し、感じ…


誰もが“心に雲”を持ちながら生きている。


嫉妬、執着、嫌悪、渇望。


これらすべての感情が、こころに雲を造る。


また過ぎ去った過去、まだ見ぬ未来からも雲は顔をだす。


過去の出来事に対する後悔、先の見えない未来に対する不安や恐れ。


人間は今にないその“幻想”になんらかの感情を抱き、雲を造り続ける。


一度心に雲をはりめぐらせると、何が起こるのか。




人はその雲を消したいがために、“他者への攻撃”を始める。


人は、実に哀れな生き物である。


自らの欲望や嫌悪のためだけに、平気で他者を傷つける。


それが結果的に“自分自身を痛めつけている”ことなんて知らずに。



この負の循環、この雲を消しさるために行われるのが…


このヴィパッサナー瞑想であるようだった。





3日目のヘッドフォンは、僕にこう言った…


「3日目、おつかれさまです。


そろそろあなたの心の中に、ふだん意識していない過去の記憶や、


忘れたはずの“深いところにある雲”が、顔をだし始めてくるころかもしれません。


それは夢にでてきたり、思いがけない形であなたの前にあらわれます」




どんぴしゃだった…



怖いとさえ、思った




「決してそれは悪いことではないので安心してください。


あなたはその曇たちを完全に断ち切るために、今必死に“戦っている”のです。



人間は今に生きることさえできれば、必ず救われます。


あなたの曇りは今のものではありません。



それは“過去や未来の想像からきている、いわば幻想”なのです。



もうこれ以上目に見えない、存在もしない幻想に…


右往左往されながら送る人生は終わりにしましょう。



幻想のため他者を傷つけ、そして自分自身を傷つけ続ける人生に“終止符”を打ちましょう」


なぜ修行をすると、心から曇りがなくなるのか。




それは“反応”という動作が消えるため。


ヴィパッサナーという名前の意味。


それは「ものごとをありのままに見る」ということ。


何かものごとが起こったら、それに反応せず“ありのままに観察する”こと。


するとそれは消えてゆく。


まるで人間が、生と死を繰り返すかのように。







ヘッドフォンは続ける…


「人は身の回りのものごと、そして過去未来の幻想にたいし、なんらかの“反応”をしてしまう。


反応や反発、それに対して感情を抱くことによって“心に曇”が生まれてしまうのです。


そのため何が起きても、反応せずただただそれを観察しなさい。


ただただ観察し、それを受け入れるのです。


反応さえしなければ、すべては必ず消えゆきます」





修行中に体を動かしてはならない理由。


それは、体を使って“反応するという動作を捨てる”ため。


体の一部にかゆみを感じ、かく。



それは“かゆみ”という感覚に対して、“かく”という動作(反応)をしてしまっているため。


人はそれをかき続け、傷を深くする。


そのためかゆみを感じたときでさえも、反応せずに、ただかゆみを観察し続けること。


すると、かゆみはいずれ消えてゆく。




それと同じようなことが、人間の“心の中”でも起こっている。


心の中に、何か“不安”を抱くとしよう。


そしてその不安に対して、なんらかの反応をする。


するとその不安は形を変え、雲になり…


人々の心を埋め尽くす。


そんな時は、何も反応せずただその不安を“観察”すればよい。


ただただ、それをありのまま受け入れるのである。


するとその不安は体のかゆみと同じように、消えてゆく。

心と体は、“表裏一体”なのだ。




あなたの心に雲がかかりはじめたとする。


そんな時は、 ただそれを観察すること。


反応せずに、ただただそれをすべて受け入れること。



するとその雲は、何もなかったかのように…


いずれ必ず消えてゆく。


すべてのものは、生まれ消えゆくさだめである…


すべてのものは、誕生と消滅を繰り返している…








アニッチャー…









アニッチャー…










実は今という時間以外、何も存在しないのである。

 

修行中に突然、過去の雲が僕の心を覆いました。


辛かったです。


修行中に泣き出す人が何人もいました。


僕もその中の一人です。


誰ともしゃべってはいけない、目を合わせてはいけない。


その理由は、“自分自身”と本気で向き合うためでした。


本気で向き合うということは、容易なことではないと思う。


誰もが忘れたい過去や経験を、心の中に持っている。



ヘッドフォンは続ける…


すべての人へ愛をもって、すべてのことをありのままに受け入れなさい


すべてを許し、そしてあなた自身が傷つけてしまったであろうすべての人々に許しを請いなさい




『自分の手で、幸せをつかみとりなさい』



『自分自身が、自分自身に打ち勝ちなさい』




人間は誰もが弱いし、生きている限り忘れたいことや逃げ出したくなることがたくさんあると思うんだ。



生きていくって、そんなに簡単なことではないと思うし。


たぶんこれからたくさんの壁にぶつかって、


何度だって、逃げ出したくなるときがやってくると思う。





でもそんなときは…



逃げずに向き合っていきたい。





ありのままに…



すべてを受け入れていきたい。


だってそれが本当の強さだと思うし、それが僕の「生きる技」だから。