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絶望は幸福への伏線 『絶望から抜け出すたった一つの方法』
また会ったな、オレが芹澤東洋だ。「ちなみになんでこんな狂ったようにいきなりブログを書き始めたの?なんかキモいんですけど」なんておたんこなすどもに言われそうなのだが、強いて言うなら、近い将来『芹澤東洋』の名が、全国に周知されるだろう。このブログだってもの凄い人数に見られるかもしれない。じゃあそのときにオレはいったいなにを届けられるのか?迷える可愛い可愛いエッグちゃんたちのために何ができるのか?
考えたあげく…
たどり着いたのが…
『愛と勇気、そしてほんのちょっとの下ネタ』だ。
これだけを届けられれば、オレに悔いはない。
突然だが、おまえは『絶望』したことがあるか?
オレは今までの人生でたくさんの絶望を味わってきた。
そりゃ旅人さ…
人には言えねぇ苦労があるのよ。
でもたくさん味わった絶望(挫折?)のなかで、そこからたくさんのことを学び、
そしてぶっ飛びまくったインド旅の経験から…
『絶望から抜け出すたった一つの方法』を知ったのだ。
この記事は歴史に名を刻むほどの文献になるだろう、心して、一読願いたい。
芹澤東洋の人生は産まれた時から少し変わっていた。
親は10歳のときに離婚しているため、元の名前は…
「有我東洋(ありがとうよう)」という名前だった。
いま思えばさすが伝説のロックンローラーがつけた名前だ、かなりイケてると思う。
まぁだがこの話を友達にしたときに
「おまえ、産まれた瞬間から親に遊ばれたんじゃね?」
なんて言われた。
まぁいろんな経験を通じて気づけば下の毛も生えるようになり、記念すべき人生初の絶望(挫折)を味うことになる。簡潔に言おう。
『大学受験に失敗』
だ。
都内の大学をいくつか受けたが、志望していた、いわゆるMARCH(明治、青山、立教、中央、法政)を見事に全滅。そしてオレは、浪人という道を選んだ。
産まれて初めて少しだけレールから外れた。午前中はコンビニでアルバイトをして予備校代を稼ぎ、机に向かう毎日。実は現役のときにいくつか合格した大学蹴っていたため、オレには「MARCHだいたい、偏差値60?」以上を叩き出さないと1年間がまったくのパーになってしまうのだ。かなりのプレッシャー、精神的に追い詰められたと思う。
でも、自分が選んだ道だ、やるしかなかった。
来る日も来る日もアルバイトと勉強。
孤独との叩い、精神的なアップダウンも激しく、どうしても耐えられないときは、
『盗んだバイクで走り出す〜!!!』
と大声で叫びながら、5万円で買った中古の原付を夜中にぶっ放しまくった
雨の日も、風の日も、えちえちな気分のときも…
『浪人生よ、手に握るものをち○こからペンにかえよ!』
という2ちゃんねるで見つけた伝説の名言とともに頑張った。
そして半ズボンから長ズボンへ、鮮やかな木々たちが次第に色を変え始め、1年間の戦いに決着をつけるときがきた。
パートのクソババアにごちゃごちゃ言われながらセブンイレブンで稼いだ大切なお金を、受験料にぶち込んだ。
オレはあの合格発表の日を今でも忘れない。
あの瞬間を、感覚を、今でも鮮明に覚えている。
結果…
成蹊大学
理工学部 特待生学費免除 合格
芝浦工業大学 工学部
合格
法政大学 デザイン工学&理工学部
合格
中央大学 理工学部
合格
オレを産んだあほ山学院大学 理工学部
合格
早稲田大学 教育 不合格
一番行きたかった早稲田大学には落ちた。でも、そこに悔いはなかった。
やっとオレに春がやってきた。
『諦めなければ、最後には必ず人生はいい方向に流れる』
この言葉は嘘か本当かは、わからない。
でも、この言葉を少しだけ信じるようになった。
そこからもの凄い人生が始まった。
もう本当に挑戦しては失敗しまくる20代。
「でも長い目で見ると、あのときの『絶望』が、必ず数年後の”最高の瞬間”に結びついている」
大学卒業する際に書いた文章がたまたま奨学金生として選ばれ、『30万円』をいただいた。友達に話すと「就職なんかしないで、その金で旅しろよ」アホちんなオレはその金をにぎしめ「アメリカ15万円90日間で一周」という旅に出た。まじで過酷すぎる旅だった、ここだけの話、
泊まらせてくれたアメリカ人の家でしょんべんを漏らした
過酷な旅を続ける途中、ニューヨークである出版社のかたに出会った。そのご縁で24歳のときに本を出版した。
そこからビジネスをはじめて失敗して25歳のときに借金100万円を背負った。家もなかった、頭を下げまくってたくさんの人からお金を借りて、ボロアパートを借りた。オレの本当に傲慢なバカさでめちゃくちゃ周りの人に迷惑をかけてしまった。人が離れた。悔いても悔やみきれない日々。
でも…
『最後には必ずいい方向に流れる』
この言葉を信じて、居酒屋でバイトしまくって8ヶ月で100万円を返済。
少しずつ人が戻ってきてくれた。
そして借金をしているとき「強くならないと!」と始めたキックボクシングでプロになれた。プロになる、なんて本当に夢のまた夢だった。借金をしてなかったら、絶対キックボクシングを始めることはなかった。そしてキックボクシングをしていなかったら、いまの所属している『インフルエンサーの事務所』に入り、素敵な仲間たちに会うこともなかった。
そしてインフルエンサーの事務所に入ってなかったら…
ここは来年くらいのお楽しみにしておこう。
これはほんのちょっとした人生経験を話しただけだけど、ここには書ききれないたくさんの絶望や挫折を味わってきました。
でも自分でもなぜだからよくわからないんだけど、
『絶望』を味わうと…
「その経験が数ヶ月後、数年後に『最高の未来』に繋がっている」
なぜ『旅は人生の縮図』と言われるんだろう。
僕はたくさんの国を旅をした。もう数えきれないくらい。
旅でバチバチにやられた時もある。
「もうダメかも」って思うときがたくさんあった。
命の危険もなんどもあった。
でもその経験からわかったことは…
『最後には必ずいい方向に流れる、その絶望は必ず最高の未来に繋がっている』
ということ。
いま絶望を味わっているあなた、安心して大丈夫。
それは必ず、最高の未来へ繋がる道だから。
いまもうダメかもって思ってるあなた、安心して大丈夫。
その経験が必ずあなたを強くさせ、より一層素敵な人にしてくれる。
そうなんだ、絶望は幸福への伏線。
絶望から抜け出すたった一つの方法…
それは…
『最後は必ずうまくいく』
と信じ抜くこと。
雨が降らないと、虹は見れない。
そして下を向いていたら…
虹は見れないよ。
チャップリン(1889年4月16日 – 1977年12月25日)
イギリス出身の映画俳優、映画監督、 コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家